卒論「『無名抄』の執筆意図」終章(4/4)

終章『無名抄』の執筆意図


 『無名抄』における数寄像に、『発心集』で展開された数寄往生の論理が働いていることは、先に述べたように、執筆時期から見て間違いないだろう。『無名抄』における数寄は、同世代の人々が定義した「孤猿風の暗さに隈取られているか「嗚呼」の趣があるか、いずれにせよ、どことなく異端な感じがある者を呼ぶ名」ではない。往生と、和歌への執心との葛藤に苦しんだ長明は、在来の数寄という概念をさらに純化させ、往生にかなう行にまで進化させた。『無名抄』において、数寄とは歌人として目指すべき至上の境地だった。ただひたすら歌枕にあこがれ、秀歌を詠むことに情熱を傾ける、往生にかなう者を呼ぶ名だったのである。『無名抄』において紹介される歌人たちの姿は、数寄往生にかなう優れた歌人である。長明は『発心集』で数寄往生の論理を示し、『無名抄』において数寄往生の実践を示したのではないだろうか。

 『無名抄』の特色として挙げた、過去の出来事を注釈するにとどまり、自身の歌人的立場を明確に打ち出さないという執筆方針は、『発心集』での、他の勤行を批判せず、すべての勤行を往生にかなう道として肯定する編集方針と、似通っていることに気付く。長明にとって、旧態の和歌を詠む者たちも、幽玄を掲げる新風和歌を詠む者たちも、和歌にかける情熱が優れているならば、ともに数寄と評価するに値した。ここにも、長明の数寄に対する純化が見て取れる。

 そして、『無名抄』十七話「井手款冬蛙事」の中で、長明は数寄といえるほどの和歌への情熱を持っていない自分を反省する。しかし、十六話「ますほの薄事」で分かるように、長明は自分を数寄者の系列に属していることを自称していた。『無名抄』において自己顕示譚、中でも自賛譚が頻出することは、いかに自分が数寄者であるか、和歌へ対する情熱を有しているかの証明とみることができると思う。過去の出来事、事実のみを記し、長明の主観を排するという執筆方針が、この証明にたいして有効に働いている。

 松村、木下の論では、なぜ自讃嘆を多く取り込んだのかという点について、長明の挫折多い人生からその理由を読み取っている。しかし、『発心集』において、長明が和歌に対してどのような思想を持っていたかという考察に欠けているように思う。「和歌はよくことわりを極むる道なれば、これによせて心をすまし、世の常なきを観ぜんわざども、便りありぬべし」という『発心集』での思想を、もっと重視してよいのではないか。すなわち、『無名抄』の執筆理由は、出家僧として、長明が和歌とどのように向き合うべきかを整理するためであった。自身のために編纂したために、『無名抄』は対象となる読者を持たない。また、自己顕示譚・自賛譚が頻出する理由も、和歌と自分との関係性を明らかにするためであったと考えたい。


(1)松村雄二「『無名抄』の〈私〉性」(『紀要』第十九号、共立女子短期大学(文科)一九七五年十二月)
(2)三木紀人『鴨長明』(講談社学術文庫、一九九五年)
(3)松村雄二「鴨長明集」(岩波書店『日本古典文学大辞典』第二巻、一九八四年)
(4)(2)に同じ。
(5)三木紀人「数寄者たちとその周辺」(学燈社『国文学 解釈と教材の研究』一九七〇年八月)
(6)木下華子「鴨長明の『数寄』―概念と実態と―」(至文堂『国語と国文学』二〇〇五年二月)
(7)池田敬子「『発心集』の説話配列と長明の浄土思想」(『日本文芸研究』五十六号、関西大学、二〇〇五年三月十日)
(8)服部七郎「発心集と鴨長明」(『宮崎女子短期大学紀要』十三号、宮崎女子短期大学、一九八七年三月)


付記

・『無名抄』『毎月抄』のテキスト、章段名は、久松潜一・西尾實校注『歌論集 能楽論集』(岩波書店日本古典文学大系』)収録の『無名抄』『毎月抄』によった。『無名抄』の章段数は著者が便宜的にふった。
・『発心集』のテキスト、章段名、章段数は、三木紀人校注『方丈記 発心集』(新潮社『新潮日本古典集成』)によった。
・『袋草紙』のテキスト、章段名、章段数は、藤岡忠美校注『袋草紙』(岩波書店新日本古典文学大系』)によった。