銭湯の魅力 広島旅行雑感

 02月13日から2泊3日で、卒業旅行に一度行きたかった広島へ行った。大学では中世文学、とくに『平家物語』を専攻したので、宮島の厳島神社にはぜひ行ってみたかったのだ。「卒業旅行」とはいうものの、恥ずかしながら卒業できるかどうか非常に危うい。私は大学入試を一度失敗しているので、今年は大厄でもある。厳島神社という大きな神社で厄払いをしていただき、卒業へ少しでも望みをつなぎたいという願いもあった。

 広島はあいにく3日間とも天気は優れず、傘をさしながらの観光となってしまった。「土・日は(私たちは旅費を安くするために月曜から旅行に行った)本当にいいお天気だったのですが」と宮島のみやげ物屋に労われ、しみじみ悔しかった。木曜日からまた晴れるという予報も大層皮肉である。とはいえ、お天気には敵わないし、雨と言っても悪いことばかりではない。雨にぬれる原爆ドームは、それは印象深かった。平和祈念館は涙なくては見ることができない。原爆に焼かれた衣服が多く展示されているのだが、それぞれその持ち主がいつどこで被爆し、どうなったかがそれぞれ詳しく書かれている。即死以外は家族に見守られながら、被爆から数日後に亡くなっているのだが、中には「見守る家族も次々に倒れ、ついには一家全滅となった」というものもあった。雨は哀しい記憶によく似合う。浮ついた気持ちではなく、しっとりとした心で「ヒロシマ」をみることができたのはよかったとおもう。
 また、宮島では厄払いをしてもらった後、それまで降っていた雨が晴れ、神威の程を見せつけられた。しかも厄払いした後にひいたおみくじは、数年ぶりの大吉である。いわく、「何事もよき事をさすず(ママ)と事ことなし」。宇佐八幡は滅亡する平家を見捨て、「世の中の宇佐には神もなきものを何祈るらん心づくしに」という神託を下された。厳島の神はいまだ私の卒業をお見捨てになられていない。一縷の希望である。

 とまぁ雨のおかげでいいこともあったが、いかんせん傘をさしながらの観光は疲れる。旅行の前日に「穴だらけのスニーカーではとても雨の広島を歩けまい」ということで靴を買いかえたこともあり、ひどく疲れた。こんなときにビジネスホテルのユニットバスに入ろうという気はとても起きない。という訳で、事前に調べておいたホテルの近所の銭湯のうち、一番近い土橋温泉へと向かった。

 ビジネスホテルに泊まるときは、少し遠くても銭湯に行くことをおすすめする。銭湯は旅館やスーパー銭湯より格段にあたりはずれの落差が大きい。ひどい銭湯は、入った後の方が汚くなるようなところもある。はずれを引いたときのことが怖くて、以前は銭湯にいくことなど考えもしなかったが、最近「それも旅の思い出だ」と思うようになった。またはずれを恐れずにあたりを求める行為はどこか冒険めいていて、非常にいい思い出になる。

 今回の土橋温泉は番台のある昔ながらの銭湯だった。トイレが店の外にあったりして多少イレギュラーではあるが、100円で入れるサウナがこのマイナスを補って余りある。むくんだ足には嬉しいので迷わずサウナを希望した。ちなみに広島の入浴料は一律400円だった。体を洗ってからサウナに入ろうと思い、ルンルン気分で頭を洗っていると、背中に見事な龍の彫り物をした人がサウナに入って行った。これには困った。サウナは小さく2畳ほどの広さで3人入ればやっとである。そこでこの龍の兄ちゃんと二人っきりになるのは、とても良くないことのように思われた。広島を舞台にした「仁義なき戦い」はあまりにも有名である。ちょっとためらったが、吝嗇家の私は先ほど払った100円が惜しくてならない。勇気を出してサウナに入った。龍の兄ちゃんは足を多きく投げ出してサウナを満喫していた。最初はこわごわと小さく座っていたが、雨に打たれた体がサウナによって温まるうちに、気持ちが大きくなっていった。途中龍の兄ちゃんが矢吹ジョーのような姿勢でうつむいたので、じっくりと彫り物を鑑賞したりしていた。

 サウナに入りながら、卒業できなかったらどうしようということばかり考えていた。せっかくの旅行なんだから、そんなこと忘れて楽しもうと思うのだけれど、楽しければ楽しいほど、ふと「留年したらどうしよう」と思ってしまう。電車での移動のときやトイレに入っているときなど、所々で思いだしてしまって困った。
 よく「結果がすべてだ」という人がいる。どんなに手を抜いても、結果さえ出せれば良いという考えだ。なるべくすくない努力で結果を出すのが良く、どんなに努力しても結果が出なければ意味がないということになる。何を隠そう私がこの主義の持ち主で、なるべく少ない出席回数、受講数で単位を得ようとしていた。その結果がこれである。何事も楽をしようと思ったらそれなりのリスクを背負わなければならないのである。今回のことでとくと思い知らされた。私にはそのリスクは荷が重すぎる。これからはコツコツとしっかりやって行こうと思った。こう思うと留年の恐怖も薄くなってきた。留年したらしたでしょうがないじゃないかという開き直りである。留年したらちゃんと両親に謝ってちゃんともう一回就活してちゃんと生きていこうという変な決心をしていたら龍の兄ちゃんが先に上がったので私もサウナを出た。

 脱衣所で着替えていたら、新しく入ってきた二人組の兄ちゃんにも彫り物が入っていた。今度はちょっとしゃれていて、わき腹に菊が3本。初めて見る意匠だった。初めて見る意匠と言えば、番台の上に飾ってあった招き猫が珍しいものだったので写真に撮らせてもらった。なんと足を組んでいるのである。番台のおばちゃんに撮影の許可を求めたら「高いところに飾っているからほこりがかぶってなぁ。拭いてあげような」と丁寧に拭いてくれた。写真がその招き猫であるが、この写真の下方でおばちゃんが写らないように小さくかがんでいる。もっと引いておばちゃんごと撮ればよかったなぁと後になって思った。